神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

地獄へのパスポ−ト

神と霊界を否定し、物質がすべてであり、人生は地上の肉身生活に限られると考えるのは唯物論者、マルクス主義者だけではありません。自由なる信仰を求めて新大陸に渡った清教徒たちが建国したアメリカも、時代が下り、キリスト教の精神が失われるにつれて物質中心になり、人間のエゴとエゴがぶつかり合う資本主義の矛盾が露呈されてきているのです。人々の心は荒廃し、犯罪とフリ−セックスが蔓延しています。それでもアメリカ人の心の根底には、キリスト教の博愛精神があります。しかし日本人はどうでしょうか。
 戦後の日本は戦前の神国日本の反動でしょうか、唯物論を基本とする憲法が制定され、唯物論的な教育がなされてきました。物質的な豊かさのみを求め、お金が中心の価値観となりました。神や霊界はほとんど無視され、人生とは地上における肉身生活であると考えのが常識となっています。
 人生の目的や目標も、地位、名誉、財産、肉身の欲望と快楽と安楽におかれてきました。そのような価値観によって私たちは人生の目標を定め、教育を受け、また努力してきました。
 成功とは何でしょうか。まずは有名な大学に入学して、それなりの知識や資格を身につけ、社会に出てそれなりの地位を得て、あるいは企業を起こして社長になり、資産家となることでしょうか。あるいは特殊な才能のある人は、芸能界やスポ−ツ界で有名になることでしょうか。
 素晴らしい家を建て、安楽な暮らしをするのが人生の目的でしょうか。あるいは有名になって、人々にちやほらされるのが夢でしょうか。快楽を追求することが人生の目的でしょうか。グルメに海外旅行が夢でしょうか。一人の夫、一人の妻に縛られるよりはフリ−セックス、性の解放がより素晴らしい人生でしょうか。家族のしがらみに縛られるよりは、独身生活を満喫する人生を選びますか。男女が自由に、互いの肉欲を満たすことは悪いことではないと考えるでしょうか。性の純潔や貞操に、何の意味があるかと考えるでしょうか。不倫は罪ではないと考えるでしょうか。
 他人に干渉されるのも、干渉するのも嫌でしょうか。国家や社会や隣人のために生きるよりは、個人主義を選ぶでしょうか。愛や慈悲は虚妄であり、人はみな自己中心のエゴイストでしょうか。法律の網にかからず、他人の迷惑にならなければ何をやるのも自由でしょうか。人間はみな孤独であり、頼れるものは自分とお金だけでしょうか。
 このような現代人の価値観が、実は地獄行きのパスポ−トになるのです。そして肉身生活が終われば、地獄行きの直行列車を待って行列しているというのです。
 これまでの人生論や、幸福論は、地上の肉身生活のみを論じてきました。そこで論じられていた成功や幸福とは、実は人生の片面における一時の成功であり、幸福であったのです。あなたの人生の目的や目標が、実は標的を地獄に向けているかも知れないのです。
 繰り返しますが、人間の堕落によって肉界と霊界が分離したのです。肉身生活の価値観と、霊界における永生の価値観がかけ離れてしまったのです。私たちはとんでもない思い違いをしているのかも知れません。霊界に行ってそのことに気づいても、もはや手遅れだというのです。それが霊界からのメッセ−ジの結論です。

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